「ながら」を楽しむ。

木下ときわサイトの新デザインから、
夏以降の演奏会のスケジュールも決まってきて、
原発や地震のことを考えながらも、
通常運転の日々。

今年は花粉症も治って、
いつになく最高気分の春ですが、
なんかやっぱり、
東京にいても「深呼吸」ではないですね。

それにこの時期、地震が来る前は
山小屋(原発から30kmで全村避難中)に行こうと思ってたんで、
今、遊び場に行けなくて家で遊んでる小学生状態。

福島のおかれている今の状況は、
福島の友だちのメールやブログやtwitterで知るのみ。
テレビでは、原発建屋の状況や作業員の話がメイン。
それは東京の人が知りたいことだから、っていう簡単な理由。

一方、原発周辺の人間の心のありようを
かなり正確に撮ったのは、
知る限り今のところこの番組くらい。


ETV特集「原発災害の地にて~対談 玄侑宗久… 投稿者 gataro-clone

玄侑さんの寺にはよく座禅会に行ってて、
坐禅や瞑想のことを僕が最初に体感した場所でもある。
寺のある三春町はなだらかな里山に囲まれた自然豊かな町。
ここではいち早く放射能対策のヨウ素剤が配られたんですね。

・・・

こうしてみると、
自分がずいぶん「当事者」から近いことに、
ほんとうに驚く。
今までテレビごしに見てた他の震災とは
かなり違った目で見ている。

最初のうちは、
いやいや僕はただの東京都民ですから、
あまり出しゃばったマネ、
勢い余った行動、
感情的な共感、
がんばろうっていうエール、
そういうことはしないでおこう、って
心に決めていたのです。

ボランティアも嫌い、
同情も嫌い、
環境問題もエコも嫌い。
自分の音楽のことだけ考えて、
趣味で山小屋行ってたわけだから、
六ヶ所村とかに運動で行ったり、
地元のヒッピーイベントに顔出す人達とも、
だいぶ違うわけです。

目的もなく、ただ遊びで。
あえて言うなら、いい歌や音楽を作るためには、
一度こういう素朴な暮らし方から始めたらいいんじゃないか、
っていう個人的な「実験」として
山小屋に行っておったのです。

しかし、これだけ原発に無関心だった自分も、
今回に限っては、
かなり特殊な「当事者との近さ」だなと、
何度、冷静に考えても、そう思うわけで。
いつのまにか、今動けるのは自分か?って
うすうす思うようになってきました。

・・・

福島は、岩手や宮城がれきの量と比べると
さほどテレビ的に絵になりません。
かといって原発本体を撮ったところで、
何が起こってるかようわからん、と。

放射能も怖いし、ってことで、
多くのボランティア、
炊き出しタレントさんやメディアは
福島を素通りして行くといいます。

この「ネタになりにくさ」は
観光においても長年の福島の悩みで、
地元民としては、またか、という思いもあると思います。
そのことが原発誘致という「金のなる木」への
依存になってきた悪循環の歴史もあります。

世界のメディアを見ると、
レベル7発言のせいで
「チェルノブイリ」と「フクシマ」は
残念ながら同列にあるのが現状です。

しかしそれを認めたうえで、
科学ではなく風評という点で、
「フクシマ」を「チェルノブイリ」にしない
やり方はきっとあるはずです。

テレビが福島をちゃんととらえきれていない今、
逆転の発想で、
いま「フクシマ」が世界的に注目されているということを、
むしろチャンスにする。
インターネット時代には、
そんな大胆な発想もアリかも、です。

そのうえで、普段の仕事をしながらでも、
無理なくやれることを探してみる。
福島はとくに長丁場だから、
自分の仕事のペースを守りながら、っていうのは大事。

開き直って東京で普通に仕事してるだけでも、
感情にまかせて現地にタダ働きしに行くだけでも、
今回はうまくいかないんじゃないか、って思うんです。

一度炊き出しに行って終りにしないためには、
この「ながら」をどこまでできるか。
それも、楽しんでやれたらなお良し。
そんなふうに考えてます。