お客さんは野生動物である。

日々、お客さんの前に立って演奏していて、
前から思っていたことなんだが。
これから演奏を始める、って時に、
僕がするするっと客前に出て行ったときの、
お客さんの「こいつはこれから何するんだ?」
っていう感じ。
これはもう、ぼけっと飯を食べてるお客さん、
だと思っていたら大間違いで、
「こいつはこれから何するんだ?」っていう
瞬間の研ぎ澄まされた感覚が、
それはそれはとんでもなく鋭くて、
ほぼ野生動物のそれだ。
だからステージ上では、野生動物の群れに
囲まれているような気分でいつもやることになる。
お客さんは、まさに目の前に、音や声を発しようという相手、
つまり、話す人や、演奏する人、歌う人がいるとき、
とんでもなく鋭くなる。
八百屋のおばさんでも、
サラリーマンのおじさんでも、
草食君でも、
例外なくみんなそうだ。
音を聞こうとするときの
人間の「野性」ぶりはすごい。
この鋭さをお客さんから感じるとき、
怖いというより、感動するんですよ。
ああ、人間もまだ動物的な感覚を、
まったくそのまま、持ってるじゃないか、と。
パソコンいじったり、車乗ったり、
心身ともに退化してきてるかもしれないが、
いやもう全然、
未知なるものに向き合ったときの、
動物的感性は、
はるか縄文人、それ以前の、
魚類くらいだったころから、
全く変わっていない。
未知じゃないもの、にあふれちゃってる、
世の中がそうなっているだけで。
音楽の「野性」さ、というのは、
そういうことなんじゃないかと思ってます。
対人間の「文化」などではぜんぜんなく、
あの人はすごく野性的な太鼓をたたく、とか、
そういうことでもない。
都会のカフェに居る人間全員が、
魚類以下になれる、その瞬間を、
みんなが必要としている。
ライブという生演奏の場の面白さはいろいろあるが、
演奏家同士、あの人はすごい音を出す、とかっていう
人間同士のゲーム性よりも、
お客さんという野生動物に、
音を響かせる、そのおもしろさが、核心にある。
自分×音、なら家でもできる。
自分×共演者、ならリハスタでもできる。
自分×お客さん、この面白さは、ライブならでは。