音楽の愉快

昨夜は近所のcafe MURIWUI
久米さんの歌を聞いてきた。
うむ、上手くはない。
しかも、緊張気味だ。
なのに、なぜかとても良い。
今は工事現場で働く久米さん。
音楽家としての過去が
すごい人だってことも僕は知らない。
でもこの日はたしかに久米さん個人がすばらしかったからだ、
ってことに間違いない。
だけどしかし、
不思議なことに、
他の共演者みなさん、
対バンのみなさんまでも、とっても良い。
上手くないんだけど、すてきな音楽だ。
お客さんも、その雰囲気を楽しんでいる。
これはこのお店がすばらしいからなのか。
うん、それもある。
生音がとても良く響く木の壁、
観葉植物のたたずまい。
マスターの感性。
うーん、でもそれだけじゃない。
ファンのお客さんが
歌とお店をとても楽しんでいる。
いや、愉(たの)しむ、という字のが合う。
新しさを追求したり、
流行にすがる感じもない。
技をチェックしに来てるんでもないし、
出来の善し悪しを見て、来て得した損した、ってんでもない。
うん、これは両国国技館に
相撲を見に行く心境とピタッと重なった。
もしくはヤンキースタジアムに
ベースボールを見に行く、という感じもある。
「なにかを得る」ために行くというより、
自分の好きな音楽がそこにある、
弁当もビールもうまい、
グッズも買える、
土俵もあるし芝生もある、
いろんな人がいる、
ひさしぶりの友だちと会って話が弾む。
そういうこと全体をしみじみ愉しんでいる感じだ。
中心に音楽がある、土俵がある、野球がある、というだけで。
でもこの愉しさは、それだけじゃない。
いま気付いたんだけども、
何よりも自分の、音楽の聞き方、楽しみ方が
かなり広くなったんじゃないか。
いろんなものを許せるというか、
愉しめるようになってきた。
そんなこともきっと影響しているんだと思う。
武道館に、ビートルズを詣でる。
そういう感覚は今でもあるし、
あって良い。
その延長で、
昨夜のような、
こういう音楽の楽しみ方が、
わが町レベルで根付いて来たってこと、
すごいと思うんですよ。
ちょっと自転車で行ったすぐそこに、
ほっこりできる音楽があるんだから。
文化の成熟。
ぼくがこれまでそういう場所に興味がなかったのか、
最近になって出て来た新しい楽しみ方の雰囲気なのか、
お店が進化したのか、
久米さんがそういう存在なのか。
理由はまだよくわからぬものの、
この音楽の愉快に、
最近よく出くわすんですよ。