マイケル・ジャクソン、

つつしんでご冥福を、だ。
それにしても、CDを何億枚も売った才人は、
もっと幸せであって欲しかった、
というのが個人的な気持ちだ。
ひとりの音楽好きな黒人のおじさんが
世界中の金の亡者、魑魅魍魎と距離を保って
幸せに暮らすには、
あまりに著作権収入が多すぎたし、
テレビで顔を知られすぎたし、
なにもかも、too big だった。
権利ビジネスと、マスメディアの
恩恵と害悪をモロに受けた。
それが20世紀が生んだシステムというものであって、
音楽家も否応無しにそこに組み込まれて来た。
インタビューされた誰かが、
「こうやって聞くと、すごく良い歌だったんですね」
と、バーでかかるマイケルの曲を聴いて
答えていた。
「こうやって」というのはすなわち、
メディアに醜聞を書かれたり、
プロモーション映像が電波に乗っかった状態で
告知される「マイケル」じゃなく、
「ひとりの歌と踊りがうまいおじさん」として聞くと、
ということだろうと思う。
音楽家が死ぬと、
「ひとりの歌と踊りがうまいおじさん」として
ようやくみんなが見てくれる。
では生前にみんなが見ていた
「マイケル」とはいったい何だったのか。
はるかアジア、日本の僕が、
生で見たことも聞いたことも無い黒人のおじさんのことを
メディアで「また聞き」しただけなのに、
こうやって色々思って書くこと自体、
すごく不自然なことなんじゃないかと思える。