演劇のレッスンを受ける。

アレキサンダー・テクニークのワークショップに参加してきました。講師はワシントン大学で演劇を教えてるキャシーという人。
日本人的にいえば、これは西洋流の「所作」のレッスンでしょうか。肋骨は腰骨より本来前に突き出ているものなのに、新美さんはまっすぐになっちゃってますね、と体に触れながら修正して、試しにそのまま歩いてみると、滑るように体が前に進むんですね。なぜか発声もずいぶん楽になった。
俳優、演出家、ダンサー、ナレーター、ミュージシャン、会社の役員さんなどいろんな人が来てましたが、骨の「あるべき位置」を先生に教えてもらうと、面白いほど楽に動けたり、声が通ったりする。ボディ・マッピングと言って、関節がどこにあって、どういう動きができるものなのか、という話も面白い。
最近日本人ってO脚の人多いな〜、歩いてるだけで疲れてる人多いな〜、とか、それも昔だったら日本舞踊でも習って所作を身につけたようですが、そういう文化が薄れたところを、アレキサンダーとか武術家の甲野さんの話とか野口体操とか、論理的に体のことを教えてくれるメソッドが補ってくれている、そんな気がしてます。昔に戻る必要はなくて、新しい「美しい所作」を作っちゃえばいいと思うんです。
それからもう一つ、キャシー先生は演劇の先生であって、観衆の前でパフォーマンスする方法論も語ってました。大勢の観衆を前に、どうやったら多くの人に伝わる演技ができるのかと。面白かったのは、それは伝えることではなくて、お客さんを自分の方にinvite=招くことだと言うんですね。試しにダンサーさんが演技してみたんですが、初めどうも演技が小さいと感じたんです。で、空間全体を隅々まで感じて、そこに満たされている空気を手でかき回して、自分の方に招いてください、との指摘後、それだけで「伝わる」ものに変ったんですね。テレビカメラの前に立つんだったら、カメラをinviteしろ、と言ってました。
ミュージシャンは特に、多くの人の心を動かすことをカリスマ性とか、オーラとか、才能とか言ってしまいがちだけど、それは受け手の実感というものであって、演じ手からすればそれはただの訓練と習慣じゃないかなと、この講座で思いました。
キャシー曰く、ミュージシャンも俳優と同じように人前でパフォーマンスする演劇の訓練を受けた方が良いと。ダウンタウンやナイナイが出たよしもとの芸人さん養成学校でも、最初は演劇のレッスンをするらしい。ネタを仕込んで相方と練習するのが楽器の練習とリハーサルならば、それをどうお客さんに伝わるように提示するのか、その方法もそれはそれとして考えればいいんじゃないかなと。そう思うと、人前で演奏することがより楽しく思えてきましたね。


3 Comments

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  • 23 2007年7月14日 at 1:13 PM

    8月上旬に、カザルスの弟子という方が来日して、音楽家のためのアレキサンダー講座があります。
    ぼくは行きますけど、よければご一緒にー。
    詳しくはアレキサンダー・テクニーク・アソシエイツのHPを。
    おっしゃる通り、ミュージシャンはパフォーマンスやコミュニケーションという領域に対して盲目なことが多いですね。ぼくもその一人でしたが、なぜ盲目かというと、パフォーマンスやコミュニケーションが苦手なシャイな人でも初めは自分を表現できる、そういう利点が音楽にあるからじゃない?
    でもだからと言っていつまでもディスコミュニケーションを原動力にして音楽するのもなんだかなー、って思って。

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  • massao 2007年7月12日 at 4:26 AM

    いいな、参加したんですね。
    地方じゃ、本読んでがんばるだけです。
    パフォーマンス。とても大事な言葉なのに、
    なぜか身近にいたミュージシャンは、演奏と
    パフォーマンスを分けてしまうんだよね。
    コミュニケーション、と言い換えてもいい。
    伝達なんだよね。

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