尊敬して波長を合わせる作業。

録音作業が終盤にさしかかってくると、
これまで録った音の上から、他の楽器を重ねる、
「ダビング」作業に入ってきます。
歌とギターが録れていたら
その上から太鼓を重ねてみましょうとか、
コーラスを2本重ねようとか、
そういう作業です。
そこにすでに録れている音に
重ねるということは、
その録れている音は
もう不変なわけで、
重ねる人がその「録れている不変な音」
に波長を合わせていく。
わざとずらすとか、そういうことも含めて
波長を合わせると言っているのだけど、
そのことを心理学では「チューニング」という。
一緒に歩いている人と、歩く速さが合ってきたり、
会話している相手と手の動きがシンクロしたり、
ほとんどの場合、人間は無意識で他人にチューニングして
日々暮らしている。
赤ちゃんが親の表情をまねする、
僕はあなたの仲間で、敵じゃないよ、
という本能から来るチューニングもある。
それで最近は、
犬にチューニングしてみたりする。
7割くらいの犬と
かなりコミュニケーションがとれるようになってきました。
しゃがんで目線の高さをそろえ、
目を合わせず、
手で触ろうとせず、
股間の匂いを嗅ぎに来たらそのままにさせる。
耳と鼻、つまり聴覚と嗅覚で感じ合う。
たぶん、犬に接する機会が多いひとは
もっと深く分かり合う方法を知ってると思う。
自分がチューニングしていく相手、それがダビングでいう
「犬=録れている音」ということで、
そこに相手に対する尊敬がないと、
うまくいかない。
歌とか太鼓など、
他人を尊敬するならまだしも、
自分の演奏したギターなど聞くと、
「惜しい、もっとできる」などと、
思いがちだけども、
いったんそれを認めて受け入れ、
尊敬する気持ちでないと、
ダビングというものはドツボにはまっていく気がする。
尊敬=Respectという言葉は、
「相手の良いところも悪いところも、しっかり見る」(オシム監督)
ということで、
崇める、という意味じゃない。
オシムは「対戦する敵チームを尊敬しろ」という話で
そういうことを書いていた。
自分の作った曲や演奏を「たいしたことないなー、もう。」とか、
思いながらダビングするのって、すごく簡単に人間はそうなる。
そんなときはたいてい、余計な音を足してる。
「たいしたことないなー、もう。」って、
その重ねた音が言っている。
でもそれって、サッカーで言ったら
「相手チームはたいしたことないだろうなー、楽勝」とタカをくくって
試合に臨むのと同じこと。
等身大の自分にチューニングしていき、
足すべき物だけを冷静に足す。これダビングで大事と思う。
さらにいうと、
ギターとか、曲とか、歌とか、日本人であること、とか。
「なんで外人みたいに足が長くないんだろう、もう。」
ていう音楽はやめにして、自分を尊敬=ちゃんと見ろ、と
言い聞かせながらやってます。


3 Comments

  • 23 2009年3月27日 at 8:37 AM

    さぐぱにーるさん
    そうなんです、
    ぼくはとりわけ、自分をリスペクトが
    苦手だったんだと思います^^。
    ひつぢさん
    なるほど、
    「合わす一方」の退屈さ、ありますね。
    そこで、録れてる音をさらによく聞いていくと、
    たまに「この人こんなことしてたんだ、すげー」
    という発見があって、
    そこに面白さ感じることはありますね。

    Reply
  • ひつぢ 2009年3月23日 at 1:26 PM

    リスペクトと少し話が違いますが、なんでかわからんのですが、自分の録音に重ねるのに、タイミングが取れない、リズムが合わないときがあります。特に短い音列だとそうなります。
    ちょっと考えてみると、自分は何かと合奏する場合、結構、音そのものより、視覚情報やその場にいて感じるいろいろなものにチューニングしているんでしょうね。
    ただ、犬でも人でも生きているものへのチューニングは、相手も実はチューニングもしくは少なくとも、こちらから受け取る刺激に対してなんらかの反応をしているわけで、これは赤ちゃんでもそうです。
    これが録音されたもの、となると、あちらは何も変えてくれないので自分が合わす一方で、そこがつまらなさなのかも知れません。

    Reply
  • さぐぱにーる 2009年3月23日 at 11:01 AM

    同意っ!!
    や、ほんと何においてもリスペクトって大事だなと思います。

    Reply

Leave a Comment