飲みながらヨガ。

お昼から夜にかけて、みっちりリハをひとつ。
その後新宿で、大学ジャズ研のときの友だち数人と久々に飲む。女性メンバーふたりのうち、ひとりはなんと現在ヨガの先生。飲み会はいつの間にかヨガ会になり、居酒屋の座敷で簡単なヨガ。
佐藤さん(accordion)や、同席した河崎さん(b)もなんと現在ヨガ修行者である。僕と同世代の演奏家は、こういう形で肉体と向き合う人間が多い。一方もっと上の世代の人は、体のことなんか考えない感じがかっこいい、体壊すのが音楽家、みたいな風土だったのか、”体観”がちょっと違う人を多く見てきた。心身の「屈折ぶり」を、音楽の原動力にするような。僕はといえば、そういう考えとひとまず距離を置いて過ごすこの頃。


4 Comments

  • 23 2005年7月16日 at 12:11 AM

    芝居は芝居で、ジレンマがあるわけですね。
    「段平」の時代ー大正期とか、60年代とか、時代ごとに〜イズムのブームがあり、それにはわりと多くの人が娯楽性を見て乗っかるのですね。
    でもその後から現在まで、リアリズムは娯楽でも何でもない。いまでは歌舞伎役者にキャーキャー言う時代。ところがほんのわずかな時代、不運にも古物扱いされた殺陣師の「悲劇」としてこの映画を見ました。
    革新派が守旧派より立場が強い、というシチュエーションは現実世界にも物語にも少なくて、ユニークですね。さすが黒澤、と 笑。

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  • 大渕の嫁 2005年7月14日 at 8:27 PM

    殺陣師って面白い職業ですよね。
    最近仕事が減っているとぼやいてましたが・・・
    「殺陣師段平」
    私が好きな映画の一つです♪
    近代演劇が抱える矛盾がよく表れてて、
    私も沢田と似たようなことを考えます。
    リアリズムの追求をすることで、
    演技の幅は広がると思います。
    絵画でも写生を大事にするのと同じで。
    でも、基本的に芝居は観客がいて成り立つもの。
    (寺山修司が考えたような、
    舞台と観客席の二元論から脱却を試みる芝居もありますが。)
    リアリズムの追求は役者がやりたいことであっても、
    観客が喜ぶとは限らない。
    リアルよりも誇張したほうが面白かったり
    伝わることが多いんです。
    (だから歌舞伎は型が出来たのだと思います。)
    ただ、所詮芝居は芝居。
    リアリズムを追求するその中にも演技があって、
    そこに面白さを見出すのが、
    一時期ブームになった「静かな演劇」でしょうか。
    でも一般受けしないんですよね。
    仕事で疲れた後に見たいと思うような面白さはないですから。
    ここに芝居の難しさがある。
    長々とすいません。
    映画の最後で、段平が殺陣をつけつつ息を引き取る場面は泣けてきます。
    演劇人って私生活と芝居がごちゃまぜなのは
    今も昔も変わらないかも・・・

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  • 23 2005年7月13日 at 10:35 AM

    なるほど、芝居でもそういうことがあるのですか。
    殺陣師の指導で、というのは面白いですね。脚本:黒澤明「殺陣師段平」という映画がありますね♪

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  • 大渕の嫁 2005年7月12日 at 9:15 PM

    興味深い話ですね。
    確かに、肉体との向き合い方って、
    世代の違いがあるような気がします。
    芝居の世界でも、特に昔は、
    「体を壊して生まれてくる感覚」
    を大事にしてました。
    稽古はとにかくマラソン!だったり。
    凝り固まったプライドを捨てて、
    自然に湧き上がる感情や行動を大切にする。
    一つの役作りの手法ではあると思いますが、
    最近は減ってきたような気がします。
    ヨガは未体験の私ですが、
    芝居をしていた頃、殺陣師の指導で、
    「自分の体を意識する」
    というトレーニングをしてました。
    体に一本の棒が通っている感覚をもち、
    慣れてきたら体のあちこちに意識を置き、「気」を送る。
    肉体の存在を実感した、面白い経験でした。

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