黒澤映画の中間まとめ。

やること山積みにもかかわらず、本をあさりに図書館へ。第二次大戦前後の日本映画関連の物…黒澤や小津、溝口各氏の作品に関する物をいくつか読む。
黒澤氏は日本を代表する、と冠される作品を撮った巨匠には違いない。人物も深く彫られ、映像、音楽、脚本などなど、およそ僕なんかがどうこう言えるどころではない。ただ唯一違和感があるとしたら、原作や、柱になるアイデアが西洋思想的、形而上学的なところか。「七人の侍」も「白痴」も「生きる」も「どん底」もロシア文学などをきっちり思想的背景としてる。コッポラやルーカス、スピルバーグ各氏が喜んだ、根っこがそこにあると思うのだ。
ゴダールの話「日本には日本映画はまだない。黒澤も小津も北野も、『普遍的な』映画は撮ったが日本という民族の顔が見える『日本映画』はまだ誰も撮っていない」を、しつこく覚えてるから、というのもある。西洋哲学がハイデガーで行き詰ったのと、黒澤映画の後期の行き詰まりが重なって見えるのです、哲学小僧には。
で、その穴を埋めてくれたのが宮崎駿氏だと、言いたかっただけではないのだけど、一旦そういう結論で、気持ちを落ち着けようと。それくらい黒澤映画は自分にとって面白すぎたのでした。


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