滋味とは何か。〜プレイタイムカフェ閉店に思うこと〜

昨日のときわ音楽会 at WUU、
豪雨の中来てくれたお客さんに心から感謝。
というか、台風来てるし、ま、いっか、とならず、
足を濡らしてきてくれることに、
敬意すら湧き上がります。

歌というのは、しみじみと心に響く。
そんな、滋味に富んだもの。
アレンジの斬新さ、サウンド、世界観、
そういうことも、まずはその滋味あってこそ。

栄養がなくて甘いだけのお菓子、
ファミレスのような可もなく不可もない料理、
おいしいけどさ、
ちょっとそれに慣れすぎていないか?

それを知った上で、
歌の本来の味わいを出すのが
自分の仕事だと思ってます。

でも、ギターもっと聞きたかった〜、って
お客さんに言われてしまったので、
こんどはもっと弾きます、ご免!

・・・

福島県郡山市のプレイタイムカフェさん閉店。

出会いは、Dois Mapasをライブに呼んでくれたこと。
そこから、僕が山小屋に行くようになり福島に通い始め、
レッスンも毎月店内でやらせてもらいるようになり、
自分の結婚式に来てしゃべってもらい、
気づいたら、かけがえのない友だちになっていました。

これはお店のよしえちゃんのブログ。

http://zerry-house.petit.cc/lime/20110527233437.html

このブログの日付を原発事故の前にさかのぼっていくと、
日本ミツバチの飼育のこと、味噌作りのこと、
薪ストーブのある小屋のこと、
いろんな人とのつながり、
そんな小さな楽しみがたくさんつまってます。

そういうものを静かに積み重ねて、
これからやっと楽しくなるね、
という矢先の原発事故。

ぼくに、ほんとうに美味しい野菜を教えてくれたのも
プレイタイムカフェです。
野菜嫌いの僕が、野菜好きになるくらい、
ほんとうに美味しい野菜を食わせてくれた。
そこには、やはり滋味があります。
僕の音楽の根っこにある感覚を
育ててくれた存在です。

このブログをさかのぼっていくと、
いかにくやしいかが、
福島に関係ない人でも、
よりリアルに分かるのでは、と思います。

自然災害ならまだしも、
間抜けなオヤジどもの、
ふざけた仕事ぶりの結果ですから。
こうやって書いているだけで、
腹の底から怒りが湧いてきます。

がんばれとか、次行こうとか、
そういうことを言える次元じゃないし、時期でもない。
テレビや新聞を見ていると、
ついそんな原発被害者の現状が軽く見えてしまいますが、
福島とかかわりのある東京在住者として、
僕はそこんとこをもっと、理解してあげて欲しいと願います。

ガンジーが射殺されたときの最後の言葉は、
「その若者を許せ」です。
自分を殺した者さえ、まず許す。
そこから、世界を変えていく。

今の怒りからは、
とても許すなんて思えませんが。
ガンジーならこのずさんな事故を起こした者を何というか。
そんなことを、わりと頻繁に考える日々です。