ブラジル人歌手に共通するもの。

ブラジルの歌手、モニカ・サルマーゾの歌。曲は「Beatriz 」。

自然体〜、なところが、いかにもブラジルらしい。
いい感じ。

さて次は、同じ曲を、ポルトガルの歌手が歌っています。

どうでしょうか?
いろんな感想があるので、良い悪いは語りませんが、
僕は圧倒的にモニカ・サルマーゾのが好きです。

同じ曲を、ピアノの伴奏で歌って、
これだけの違いが出てくる。
歌の上手さではなく、
聞いたときの印象が、全然違う。

ここで、ブラジル人とポルトガル人の違いを比較して語りたいのではない。
実はこれまで、とても不思議に思っていたことがある。
それは、ブラジル人歌手の特徴である、
こういった「自然体さ」「スケールの大きさ」
はいったいどこから来るのか、ということ。

ミルトン・ナシメント、ジョアン・ジルベルト、
トム・ジョビン、カエターノ・ヴェローゾ、
エリス・レジーナ、ベッチ・カルバーリョ、

こういう有名人だけに限ったことでなく、
いわゆる「ブラジルのそのへんのおっさん」でも、
すごく自然体〜ないい歌を歌うことがある。

もちろんそうじゃないブラジル人もいっぱいいます。
私を見ろ、みたいな歌を
youtubeにアップしてる人もいっぱいいる。
それを勘定に入れても、
自然体〜ないい歌を歌う人の割合は、
他国と比べても圧倒的に多い。

なぜブラジルの歌手は、自然体〜なのか。
それを、サウダーヂだ、なんて言葉を持ち出して、
うやむやにするのが僕は嫌いです。

それから、言語とか、自然環境、生活習慣、宗教、
そういう人類学的な解決も、いかにもそれらしいが、
じゃあブラジルに生まれて住めばだれでもこうなれたのか、
というと、そうなれない。

なんかもっと、
シンプルで分かりやすい個人的な何かがあるはず。

そう思って何度も何度も歌を聞いたり、
ミルトン・ナシメントと接した人からたまたま話を聞いたり、
自分の音を聞いたり、
いろんなことをやって、
ようやくひとつだけ、はっきり分かったこと。

それは、彼らにものすごく「感謝」があるんだ、ということ。
歌えて嬉しいな、とか、
聞いてくれてありがとう、とか、
そういうシンプルな感謝の気持ち。

こんな事言うと、なんてありきたりな、と
思われるかもです。
しかしこの感謝の気持ちを甘く見てはいけない。

口先で「お客さんありがとう」と言うことは誰でもできる。
また、ある程度たっぷり、「ありがとう」って思いながら
音楽やることも、ある程度はできる。

しかし、モニカ・サルマーゾや、
最近のマリア・ベターニアほど、
頭のてっぺんからつま先まで
本気の感謝を持って歌える人はほとんどいない。
生きていることへの感謝。
歌えることへの感謝。

なぜ感謝できるかというと、
「足るを知る」をわきまえているから。
私にはこれがない、と思うのではなく、
私にはこんなにある、という発想の転換。

たとえば3人しか友だちがいないよ、
って思うのか、
3人も友だちがいてくれるよ、
って思えるか。
後者のように思えば、おのずと友だちありがとう、と思える。

もっと、ではなく、感謝。
この感覚がある人の歌には、余裕がある。スケールが大きい。
もっと、の人の歌は、どこか息苦しい。小さい。
そのへんのおっさん、の歌がいい秘密は、そこにある。

日本人は技術が大好きだから、
歌を聞くときもつい、
高音が出るとか、
こぶしがうまいとか、
音程が正確とか、
ついついそういう、
精密な時計を評価するときと同じような、
歌の聞き方しかできない人が多い。

それはもちろん歌手なら当然のこととして、
さらにその、分かりやすい技術の裏にある
自然体〜、の正体を見つけるのも、
ぼくのような暇人の仕事だ。

肩の力が抜けている、というが、
肩の力を脱いただけでは、ああいう歌にはならない。

何かに感謝するというのは、
地球上に人間が生きている以上、
それがないと本来生きていけないから、
当然持っていなければいけない気持ち。

しかしその感謝が揺らいでいる。
津波で米を1万トン廃棄、
原発で鶏が4万羽餓死、
口蹄疫で牛を20万頭殺処分。
100歩ゆずって、こうせざるを得ない理由が人間にあったとしよう。
しかし、米や鶏や牛に対して、
足るを知り本当に感謝していたら、
こんな悲劇があったら、
もっと追悼したり、悲しんだりするはず。

文明人に抜け落ちた、
感謝の気持ち。
その片鱗を、無意識に追いかけて、
「感謝」を持った歌声にたどり着く。
皮肉な結果だが、
人間本来の自然体とは、
もっと感謝があって当然だということを、
歌が教えてくれる。

さて難しいことはない。
いい歌を歌いたいと思ったら、
いいギターを弾きたいと思ったら、
今から本気で感謝してみよう。
ゆるいとか、サウダーヂとか、
ボサノバの美学とか、
そんなこと100回唱えるより、
何にでも感謝すれば、すぐにいい音楽が出来上がる。
もし感謝が難しいとしたら、かなりの文明病におかされている。

人より秀でたいと思ったら、まず感謝。
いい音楽ってのは、まずはそこからだ。