米とパンツと歌。

温泉に入ってゴキゲンな時には鼻歌を歌うし、
明日特攻隊が出動というその夜にも
酒を飲みながら歌を歌ったそうだし、
結婚式でもお祝いで誰かが歌うし、
葬式では坊さんが念仏のあとに歌を捧げていた。
誰かを励ます時にも歌うし、
自分をなぐさめるときにも歌う。
歌はほんとうに、
「ご飯や衣服と違って、なくても生きるのに困らない」
って言われるようなものなのか。
最近はそんなことよく思うんですよ。
歌う歌がなくて困ってる人、いっぱいいるんじゃないかな〜。
もういろんな時と場所で、
歌はめちゃくちゃ「生活必需品」なんじゃないか。
チョコやアクセみたいな「遊び心」「豊かさ」が必要だ、
って意味じゃないんです。
もう、米やパンツくらい、必要なんじゃないか、と。
米やパンツがちゃんとある人が、
プラスアルファでたしなむものでなく、
なんにもないってところにこそ、
まずいきなりズバッと必要だって意味で。
戦争が終わってなんにもなくなって、
まず米、パンツ、歌をつくらなきゃ、
っていうほどのもんだと、僕は思う。
母国語で、すっと口から出てくるような
今を歌った、シンプルな歌。
それが今少なくなって、
自分もさまざまな時と場所で、
こっそり困っている。
こりゃもう、
安くて質のいいパンツや米を作る気持ちで、
シンガーソングライターの自己満足じゃない、
誰でも楽しめる歌を、ってな感じで
自分、最近ヤル気だけは一丁前です。
昨日、
名古屋までの新幹線で1曲、
帰りにまた1曲出来たので、
ちょっと勢いづいて
思いを語ってます。