楽器の進化を

さかのぼることを思いついたのは、
この1年くらいです。
最近2ヶ月のうちに、
中央線で1回、小田急で1回、
席に座ったら向かいがゾマホン
CDプレス屋さんに行けばなぜかアフリカショップが入っていて、
ティディニという楽器に出会ったり。
こんなバンドを教えてもらったり。
ほかにも書ききれないくらい、
アフリカに出くわすことが多い最近です。
今のポピュラー音楽から、あまりにも遠い音楽だもんだから、
日本人はアフリカ系の土着音楽を聞いてもピンとこないのかも。
ヨーロッパ行くとあんがいアフリカ系のコンサートも多くて、
スイスの田舎町ではサリフ・ケイタが来てたというポスターを見た。
そしてアフリカの音楽、根っこは実はとても日本に「近い」。
この歌、エチオピアですよ^^。
江戸時代がそのまんま続いてたら
今の日本の音楽シーンはどうなってたんだろう?
ティディニという弦楽器、これ、
調弦するペグみたいなものすらなくて、
まさに、箱と、棹に、弦を張りました、というだけの、
超簡単なもの。
その時代の文化や宗教、人間の「便利」に合わせるように
楽器も変化、進化してます。
つまり、シンセという鍵盤楽器になる、
その前にピアノという楽器があり、
その前にチェンバロという楽器があり、
その前にダルシマーという楽器があり、
その前にハープという楽器があり・・・。
もっと大きな音を、もっと精密に、もっと便利に、
そして僕たちの宗教音楽を奏でやすいように、
という進化は楽器本体も変化させてきました。
これはものすごく変に思われるかもしれない考えですが、
「もっと大きな音を、もっと精密に、もっと便利に」
という、近代化が得意な「もっと」を
いちど楽器本体からとっぱらって、
そこに残る「音」だけを確認したい、と
どうやら自分は思っているみたいです。
これまで新しい楽器を生み出して来た職人さんでも、
もっと大きな音を、というときに、
まあ音色の味わいは犠牲になるけどね、
ボディを木から鉄にしましょうか、
というような部分があったんじゃないか。
ならばそれをさかのぼって、
近代化の枝を、一度木の幹まで戻って、
そこから新しい枝を生やしたらいいんじゃないか、
というイメージです。
ギターにいろんな物をつけ加える前に、
ティディニに戻ってみる、というのも
面白いんじゃないか、っていうのはそこから来てます。